※この原稿は松山短期大学非常勤講師の山本希さんが作成したものです。
1.はじめに
コロナも落ち着きをみせ、自粛生活から解放されつつあります。コロナ禍においては、「リモート」だとか「オンライン」だとかが推奨され、私たちは他者と物理的な距離を保つことが推奨されてきました。他者と物理的な距離をとることによって、対人的なストレスから解消された人もいるでしょう。あるいは、他者と切り離され生み出された余白を自分自身と向き合う時間にすることで、今まで敢えて目を向けることもなかった事柄に対峙する機会となった人もいるでしょう。その状況がまた元に戻る方向へと舵が切られているようです。もちろん基本的には喜ばしい。だけども億劫でもある…。
改めてここで、他者と共に場に集うことの意義について考えてみませんか。そうすることで、他者と共にいることの心地よさ、あるいは違和感、一人でいることの快や不安について思いを馳せるきっかけになるのではないかと思います。
2.村上靖彦『交わらないリズム 出会いとすれ違いの現象学』
pp.10-11 青土社
自分の生活も他の人との出会いも、さまざまに異なるリズムが折り重なったものであろう。たとえば人との付き合いのなかで、相性の良し悪しや、波長が合うことや行き違いはつねにあるが、それはリズムが合う合わないということでもある。多くの日本語の慣用句もリズムと関わり、たとえば「馬が合う」「拍子抜け」といったものが思い浮かぶ。「息が合う」「一息入れる」「息が詰まる」というように、「息」にまつわる表現は、対人関係や生活のリズムと関わることが多い。リズムを論じた中井正一(1900-1952)は、「間が合う、間がはずれる、間が抜ける、間がのびる」ことに注目した(中井1981/1995 108)。あるいは自分のリズムと、社会から要請されるテンポが合わなくて、日常がうまく過ごせないということもある。気ばかり焦るが体が一向に動かないというときも、自分のなかでリズムがずれている。つまり他の人とのあいだでも自分のなかでも、リズムがぎくしゃくすることがある。言い換えると、リズムは単数ではない。リズムは複数の線が絡み合ったポリリズムとして生じる。
たとえば、最近私はある小学校の授業を見学する機会があった。生活困難な家庭や、外国籍の子供が多数所属する学校で、普通級のなかに特別支援の配慮を必要とする子どもも数人いるクラスである(つまりクラスの背景にある状況もまたポリリズムである)。「いちばん大変なクラス」と紹介されて初めて見学した時には大きな混乱のなかにあった。そもそも校舎の玄関をくぐったところで「授業中なのに廊下で競走をしている子がいるな」と思って二人の生徒を見ていたら、実はそのクラスの生徒だったのだ。国語の授業のはずだったが、三人の子どもが教室から出たり入ったり、あるいは床に寝ころんでいた。他の子どもも騒々しく、担任からの質問に答える声が雑談でかき消される状態だった。このようなときにはそれぞれの子どもがもつリズムがばらばらであり、クラス全体としてはカオスあるいは文字通りのノイズとなる。
ところが一カ月後に訪れてみると、前回立ち歩いていた子どもたちも机に向かい、一生懸命作業をしていた(図工の時間だった)。先日廊下で走っていた二人も不器用なのでイライラしながらであったがそれでもクラスの流れと無関係の行動を取るわけではなかった。校長先生に理由をたずねてみると、一カ月のあいだ、担任と副担任が丁寧にその子たちにつきそって語りを聴き取ってきたことが大きいようだった。図工のクラスは比較的自由で、全員が思い思いに工作を進めながらときどき周りの友だちと集まって話しているが、前回とは異なり、状況が把握できないカオスではない。二、三人が集まって自由な会話がメンバーを変えつつ行われても、クラス全体が一つのメロディーを変奏しながら奏でているように、工作をするというテーマは保たれていた。授業が終わるころには、多くの子どもの課題が完成していた。さまざまなリズムが変化しながらも統一されたクラスの流れを作る。ばらばらになることもあれば、調和することもある運動がポリリズムである。
3.寮美千子『あふれでたのはやさしさだった』
pp.211-213 西日本出版社
人は人の輪の中で育つ
「社会涵養プログラム」の授業は高い効果をあげた。なぜだろうか。
(略)
既成概念や知識といった世間の物差しを当てて評価するのではなく、そこにある詩を、あるがままに受け取ることこそが大事なことなのだろう。教室の仲間たちは、すなおでまっすぐな感想を述べてくれた。最初からそれができていた。なぜそうだったのか。
彼らには、気の利いたことをいう知識も機知もなかったのかもしれない。相手を計るべき持ち合わせの定規がなかったのかしれない。でも、だからこそGくんは、深く癒されたのだろう。裸の心でつながりあうことのできる教室だったから。
(略)
もう一つ思いあたったのは一対一ではなかったということ。教誨師と受刑者は、常に一対一だ。その僧侶は、実に思いやり深い方で、誰に対しても腰が低く、常に受刑者と同じ目線で話そうと努力なさっていらした。そんなやさしいお坊さんでさえ、受刑者から見れば、どうしても自分とはかけ離れた存在に見えてしまう。その距離感があってこそできる教育がある。宗教は魂を深く救ってくれる。教室とは役割が違うのだと思った。
社会性涵養の教室にいたのは、自分たちと同じ境遇の仲間たちだった。だから、安心して自己開示し自己表現できた。表現すること自体が、一つの癒しになる。そこには、受けとめてくれる仲間がいる。それが、さらに深い癒しをもたらしたに違いない。
グループだからこそ、一対一とは違う大きなうねりが生まれ、互いに交感しあい、連鎖反応を起こし、次から次に心の扉を開けたのだろう。すると、心の内に埋もれていたやさしさが、堰を切って流れだす。そのやさしさが、互いの心をまた癒していく。「人は人の輪のなかで育つ」ということ、「場の力・座の力」を実感した。グループ・ワークならではのダイナミズムだ。
4.堤未果『デジタル・ファシズム』
pp.249-252 NHK出版新書
教科書のない学校
タブレットがないと、自分の頭で考えなければならない、という小学生の女の子の言葉を聞いた時、不思議な気持ちになった。
私の母校である和光小学校には、タブレットどころか教科書自体がないからだ。
知識を入れるためでなく、考えるための教材を先生が自分で探してきて、それをプリントしたものが配られる。毎回授業のたびに数ページ配られる紙を自分で二つに折って、授業の最後にファイルに綴じてゆくので、一学期が終わる頃には一冊の教科書ができあがる。授業中に思いついたことの走り書きや計算式、その時流行っていたアニメのイラストが描いてあり、あちこちに折り目がついた、世界に一つしかない、自分だけの教科書だ。
プリントは毎回、その授業で進む分しか配られないため、当日にならないと内容がわからない。国語の授業で使われる物語は、その日のページ分だけで先の展開が読めないので、皆で登場人物の気もちや動機を一生懸命考えながら授業が進んでいく。結末を知らない分、創造力がどこまでも広がり、毎回どんな意見が飛び出すか、議論がどこに向かうか予測できない楽しさがあった。
この学校の授業には、二つの特徴がある。
ひとつは「すぐに答えを教えてくれないこと」。
例えば、ある日理科の授業で先生がこんな問いを出した。
「パイナップルは、どこになっているでしょう?」
私はその時率先して手をあげ、自信満々で「木になっています!」と発言した。他の生徒からも「土から生えてる」「冷蔵庫」「わからない」など多数の声が上がる。先生は正解を言う代わりに、私たちにもう一度こう問いかける。
「未果はどうして木だと思うの?」「土に生えていると思った人はなぜ?」
答えの代わりに問いを投げられた私たちは、小さな頭をフル回転させてそれぞれの理由を皆に説明し、自分とは違う意見にも耳を傾け、丸々一時間話し合った。
その間先生は口を挟まず、私たちが活発に議論する姿を目を細めて見ていた。
授業の終わりを告げるチャイムが鳴って、やっと先生がくれた答えを聞いた私は顔が真っ赤になったけれど、皆と話したあの時間が、とても楽しかったのを覚えている。
もう一つの特徴は、先生が生徒の答えに〇×をつけないこと。
正しいのか正しくないかよりも、どうやってその答えに辿り着いたかの方に関心を持ってくれるのだ。間違えても裁かれないので、私たちは思ったことを自由に口に出し、ありのままの自分でいられたように思う。その分話が終わらずに時間切れになってしまうことが多かったが、先生は気にする様子もなく、一緒に熱くなっていた。
中でも一番重宝されるのが、途中でついていけなくなってしまい、答えが出せなかった生徒だった。彼らは時に「はてなさん」などと妙な名前で呼ばれ、それぞれどこでわからなくなったのかを言わされる。そこからクラスの皆で一緒に考え、疑問を口に出しながら、ゆっくりと一緒に答えを見つけてゆく。どんな意見を口にしても、先生は一旦そのまま受け入れてくれる。だが、面倒くさいからと考えるのを放棄して「〇〇ちゃんと同じです」などと発言した時だけ、先生は顔をしかめてこう言うのだ。
「同じ、なんていう意見はないよ。未果はどう思うの?」
授業の最中も、先生は黒板を使わずに、壁に張った大きな模造紙に生徒から出た意見をどんどんその場で書いたり、文字でなく図にしてみたり、時にはプリントを使わずに全部口頭でやってみたり、いきなり演劇から入ったり、その時その時の空気に合わせたやり方をする。
そんなふうに先生が創意工夫して、毎回一期一会の授業を作るあの教室では、違う考えを持つクラスメイトたちの存在を同じ空間の中で受け入れることや、答えの出ないことを考える道のりに、何よりも価値が置かれていた。
科学者と企業家たちは今、人工知能を駆使して生徒たちの間違いを見つけ出し、思考の土台を作り、激励までしてくれる個別学習プログラムを開発中だ。
だが教師と生徒の間の絆や、教室で生まれる一体感は、果たしてそれらに置き換えられるのだろうか?
5.伊藤智樹『開かれた身体との対話 ALSと自己物語の社会学』
p.89 晃洋書房
物語と身体
物語は言葉によって構成されますが、コミュニケーションには身振りや表情を表す私たちの「身体」も関わっています。
たとえば病いで身体を想うように動かせなくなった人がセルフヘルプ・グループの集会に参加したとします。その人は、コミュニケーション・エイドを介して会話に参加することはできますが、一般的にそのテンポは口頭での会話よりも遅く、健常な頃と同じスピードで質疑応答をするわけにはいきません。また、人によっては、何もしゃべらずに終わることもあります。では、その人は、とりたてて意味のある言葉をその場では発しなかった、というべきでしょうか。否、その人は多くのことを語っています。その場に彼・彼女の身体があるというただそれだけの事実によって、病が進むと閉じこもって社会参加ができなくなるというイメージないし思い込みに対して端的に反証が示されています。そこでは彼・彼女の身体も、清水忠彦さんと同様に、開かれた身体といえます。彼・彼女は身体を通して他者とコミュニケートし、見る人は、その身体に何らかの物語の要素を読み込むと考えられます。
このように考えると、物語を語る身体に着目するのが有意義なケースがある、ということがわかります。伊藤(2012b「病いの物語と身体―A・W・フランク『コミュニカティブな身体』を導きにして」『ソシオロジ』173:121-136)では、パーキンソン病等をもつ人によるサークル「リハビリジム」の営みが記述されています。そこには、多弁な人もいれば無口な人もいますが、いずれも共に「リハビリ」を行いながら病いの中を生きていこうとしています。その際、小さな改善劇を一緒に目撃したり、あるいは思いのままにならぬ身体を笑い飛ばしたりする場面が現れます。そこでは、すべてが言葉で語られるのではなく、少し大げさにしたり何度も繰り返したりする身体の動きによってやりとりが成り立っています。このように、身体は物語行為の構成要素として人々の営みの中に埋め込まれているのです。