5月の森のようちえんin坪内家の募集について

5月の親子型森のようちえんは砥部町の坪内家で開催しています。5/11(火)と5/18(火)はご飯は作らずにお弁当持参となります。未就学児1人1,000円で、兄弟参加の場合は1人につきプラス700円となります。

乳幼児期に大切な自然や人との関わりを大切に、感染対策もしながらゆっくりした時間を楽しんでいます。

広い古民家とその周辺の自然を利用して少人数での開催を考えています。興味のある方は是非参加お待ちしております。

コロナ禍での地域子育て力

コロナの見えない脅威におびえながら過ごす生活も2年目となりました。いつ終わるのか?これは何かの前兆なのか?.

人と人の関りが薄れ、地域で子どもを見守りながら育てていく理想の子育ての在り方を追求してきましたが、それとは真逆の方向に世の中は流れている。この流れは変えられないのかと不安になることもある。

マスク警察なる言葉が飛び交うようになり、スーパーへ行くにも、少し山へ出かけるにもマスクを付けない人は非国民といった社会の空気にもうんざり感を飛び越えて、「コロナのことは考えない」という思考にどんどんシフトしていく自分がいる。まともにテレビなど見ていたら確実に病んでいくという感覚すら感じる。

ただ、それでも、5年後、10年後の松山、愛媛、日本、そして世界をイメージしてみると、このままでは大変な時代が来るという未来予想図が現実化していく構図しか想像できない。

であるならば、やっぱり大人が前に進むしかない。

でも私が一人で前に進んでも何も変わらない。多くの人がその未来予想図をイメージして、そうならない構想を「ああでもない、こうでもない」と話し合いながら1歩1歩前に進むしかない。

それもその人その人の得意分野があるわけで、「環境を守る人」「有機で野菜を作る人」「スキルを持って子どもたちを見守る人(保育士・教師など)」「資金の足りないところに支援する人」「地域で子どもに声をかけながら地域の信頼を得ていく人」「海のことがやたらと詳しい人で、子どもにも楽しく伝えることができる人」「ゲームやネットのことがやたらと詳しいけど自然の大切さも判るからYouTubeで子どもに向けて環境良くしようという楽しそうな動画を流し続ける人」「とにかくいろいろな人を繋げる天才」「行政の苦労も理解しながら、民間力も理解して、繋げてくれる人」などなど・・・・。

こうしたいろいろな人がいてくれて、その人たちが自の利益のことだけを考えるのではなく、他者への還元が自社の発展に繋がっている感覚が常識化する社会を目指していかないと今の状況はなかなか変わらない。

でも中小企業はなかなかそうはいかない。生活するために必死で利益を求めていかないといけないのが現状なのかもしれない。それでも目先の利益を追求しすぎるあまりにおかしな誇大広告がはびこったり、過剰な過当競争が激化していき、その犠牲者が子どもだったり高齢者だったり、貧困家庭だったりと弱いものに集中しやすい。

戦後から日本の産業を支えてきた資本主義という考え方はもう限界にきている。

地域で子どもを育てる社会を目指すには

地域力が向上することが子どもの幸せに繋がるという発想は、子どもだけに当てはまることではなくて、高齢者にも若者にも、そしてお父さんお母さんも元気にしていくことだと思う。

例えば、児童クラブや児童館、そして放課後デイなどの施設も今は個々で事業を進め、自団体のみで運営するパターンがほとんどとなっている。こうした施設はどの地域にでもあって、地域に開放したり、地域の支援を求めたりすれば様々な可能性が広がる場所でもある。

私たち団体は地域子育て力の向上が多くの子どもたちの幸せに貢献できると思っているので、由良野の森活動に賛同しプレーパークを開催したり、不登校生の増加を危惧し愛媛県フリースクール等連絡協議会の立ち上げから協力をし運営を担っている。それから新居浜の森のようちえんや中島プレーパーク、吉田町のプレーパークなど、出来る範囲でお手伝いをしてきて、今は各々が力強く地域を巻き込み動き出している。

たくさんの団体や個人と繋がっていくと、思っても見ない効果がいろいろ現れてくる。一期一会を大切に、決してあきらめず前に進めば、明るい未来も見えてくる。

人間一人ひとりはそれほどの力があるわけではないけど、少しづつ助け合って生きていく社会が常識化すればきっともっと住みやすい松山、愛媛、日本、世界になるんじゃないかな~と思ている。

コロナ禍を生きる私たちの未来は私たちが作るものです。

国や社会のよどんだ空気に飲み込まれないためにも、人間的な暖かい心がリアルに感じられる行動を自分から始めようではありませんか。

森のようちえんみきゃんっ子5月からの募集開始は4/5からです。

森のようちえんみきゃんっ子の5月分からの申し込みを4月5日(月)13:00~より受け付けしています。

ただし、県内の新型コロナウイルス感染の拡大の状況によっては、実施できない場合もありますので予めご了承ください。中止・変更となる場合は愛媛県総合運動公園のホームページ及び当団体のHPでもお知らせ致します。

森のようちえんたんぽぽの根っこの4月~6月は定員に達したため締切りました。

森のようちえんたんぽぽの根っこの4月~6月の募集は定員に達したため、締切りました。次は9月~12月分の募集を6月頃に開始します。9月からは開催日を増やすことも検討しています。9月からの参加希望者を把握するために、希望される方は早めに問合せフォーム又はLineアカウントよりお知らせいただくと助かります。

「いただきます みそをつくる子どもたち」上映会&オーガニックマルシェ

虹かかる日の祭り in今治
映画「いただきます みそをつくる子どもたち」上映会 
&オーガニックマルシェ虹の市

愛媛県で森のようちえんを開催してい今治の「島のようちえん自主保育にじっこ」と「西条森のようちえん」が主催の映画会のお知らせです。


日時:2021年4月11日(日)  場所:今治市 仙遊寺(今治市玉川町別所甲483)
上映会(75分) 第1回 10時~ 第2回 13時30分~ 第3回 16時~
前売り1000円 当日1300円 高校生以下無料 学割500円 ペア割1800円
入場者数を限定しています、できる限り予約をお願いいたします。

◎予約フォーム◎
https://forms.gle/cqiym3f9ZUHzGd4j8

オーガニックマルシェ 虹の市10時~16時 
お味噌作りwsもやるよっ!!
有機野菜・農産物加工品販売、身体に優しい食事や飲み物、デザート、手仕事や自然素材の品、フェアトレードの商品や食や環境にまつわる本などの物販、マッサージ、愛媛の自主保育や森の幼稚園の紹介展示、今治の学校給食の歴史紹介ブースなど 


◎今治産自然栽培素材でお味噌作りワークショップ 限定8組
11時半~12時半 材料費500円(お味噌のお持ち帰り付き) 上映会は、新型コロナウィルス感染拡大防止のため3密回避等の対策を行い開催いたします。
そのため、間隔をあけて観賞できるよう入場者数を限定しています、
できる限り予約をお願いいたします。マスク等は各自でご持参ください。


主催 島のようちえん自主保育にじっこ
後援 今治市教育委員会、今治市
お問い合わせ nijikko.imabari@gmail.com 島のようちえん自主保育にじっこ


しまなみの島々や今治の自然豊な場を拠点に、外遊びやそれぞれの自主性を大切にしながら、
子どもを真ん中におく保育を実践している会 2019年より活動開始 毎週水曜日と土曜か日曜の休日に活動


4/10(土)に西条でも上映会を実施します。

『いただきます』西条上映会 in 石鎚ふれあいの里

日時:4月10日(土)1回目(子連れ歓迎回☆) 10:00〜11:302回目 13:30〜15:00
 
※子連れ歓迎回はお子様と一緒に鑑賞いただけるよう、床座りや簡単なおもちゃスペースを用意するなど空間にも配慮して上映します。託児していただくことも可能です。同席の皆さまにはあたたかい目で見守っていただけますよう予めご理解くださいませ。
 
場所:石鎚ふれあいの里(西条市中奥1号25-1)
 
鑑賞代(当日精算):前予約1000円/当日1200円/高校生以下無料
託児:200円/小人
※可能であれば前日までにご申請ください。
※当日の子ども達の様子や希望で遊ぶ場所を決めます。数が多い場合は年齢別でグループ分けするなどして見守ります。遊ぶ場所は上映会場付近やグラウンドもありますが、裏山や川などを含め施設自体が自然の中にあります。簡単な救急セット(絆創膏やトゲ抜きなど)は用意しますが、心配な方はご持参ください。
 
予約・問合せ▶️ポポン・ト
popont2019@gmail.com
090-4576-6131

このイベントページへのコメントでも構いません。
下記を明記の上お申込みください。
お名前/鑑賞回/託児を希望の場合はお子様の年齢・性別/ワークショップのご参加は名前・人数
※上映は会場の換気を充分した上で、人数を制限して行います。数に限りがありますので予約がお勧めです。マスク等は各自でご持参ください。
 
☆上映会と一緒に楽しもう!☆
【おにぎりワークショップ(前日までに要予約)】
時間◇11:30〜(炊飯棟前)
参加費◇300円/人(高校生以下無料)
炊きたての白ご飯で子どもも大人もおにぎりをにぎにぎ。日頃の森のようちえんの活動に欠かせないお味噌汁も参加者で持ち寄った具と味噌でつくります。
持ち物◇米1合(浸水し水気を切った状態)、味噌汁に入れたい具・味噌を少量、その他、塩や海苔などおにぎりに使いたい調味料や具、食器、要れば敷物など。
 
【キッチンカー出店】
ネイティブキッチン(ジビエ料理)
ららジュース(春の手づくりジュース)
 
主催:西条森のようちえん(自主保育サークル)
自然の中で沸き上がる想像力や創造性を大切に、のびのびと親子で生きる力を育む見守り保育を自主的に展開しています。
 
運営:ポポン・ト
協力:にいはま森のようちえん/島のようちえん自主保育にじっこ
 
オーガニックマルシェや味噌づくりワークショップもありますよ~!

愛媛県の森のようちえんの紹介

愛媛県で森のようちえんを開催しているのは「NPO法人新居浜森のようちえん」「西条森のようちえん」、西予市の森のようちえん「一般社団法人ノヤマカンパニー」、瀬戸内しまなみの森のようちえん「今治島のようちえん自主保育にじっこ」と私たち「たんぽぽの根っこ」の5団体を現在把握しています。

この中で週5の預かり型として認可外保育施設として運営しているのが新居浜森のようちえんです。他の団体は定期的に開催していたり、親子型だったり、自主保育だったりというさまざまな形で活動しています。

昨年の12月に由良野の森にて合同で音楽会を実施、団体同士が顔を合わせ、思いを共有しました。自然の中でのびのびと子どもを育てることのできる森にようちえんのニーズは広がっています。関わる多くの人が県外からの移住者だったり、Uターンした家族だったりします。地域創生が叫ばれる中、島根、鳥取などでは移住促進のために森のようちえんに予算がついていたりします。

いつも森で遊びこんでいる子どもたちは動きがアクティブで遊びの発想が豊かです。「めんどい」とか「つかれた」とか「何で遊んだらいい」とか「ゲームしたい」などという言葉は聞くことがありません。とにかく仲間と共に日が暮れるのも、お腹がすくのも忘れて遊び込みます。転んで足が痛くても、寒空の中凍えそうな時でも真剣に遊んでいます。

そんな生き生きとした子どもたちを街中ではほとんど見ることがありません。そのことに疑問を持たない人が多いのかもしれませんが、本来子どもにとって「遊び」は生きることそのもので、子どもの成長には欠かすことのできない活動だと思っています。

そんな森のようちえんの活動が愛媛県下にもっともっと広がっていくことを願っています。

3月30日(火)から4月末までの「森のようちえんみきゃんっ子」の開催中止について

開催を予定しておりました「森のようちえん みきゃんっ子」は、3月30日(火)から4月末までの開催分を新型コロナウイルス感染拡大に伴い、愛媛県の警戒レベルが「特別警戒期間」に引き上げられたことを受け、中止といたします。

今後の開催につきましては、愛媛県総合運動公園ホームページをご確認いただくか、愛媛県総合運動公園(電話:089-963-2216)までお問い合わせください。

http://epsc.lekumo.biz/info/2021/03/post-b168.html

【参加者募集】「森のようちえん みきゃんっ子」(令和3年4月~6月開催分)

未就学児と保護者が一緒に自然の中で活動し、火育&食育を行う「森のようちえん みきゃんっ子」を令和3年4月6日(火)から毎週火曜日に開催致します。《主催:(公財)愛媛県スポーツ振興事業団(愛媛県総合運動公園指定管理者)協力:NPO法人みんなダイスキ松山冒険遊び場》

 対象は、未就学児とその家族で、参加料は未就学児1人1,000円(きょうだい参加の場合は1人につきプラス700円)+昼食代300円×人数分(1歳以上)です。

 参加には事前にお申込みが必要です。申込開始は4月開催分が令和3年3月22日(月)13:00~となっております。各月申込開始日時がございますのでご注意ください。

 たくさんのご参加お待ち致しております。

※新型コロナウイルス感染症予防・拡大防止のため、内容を変更・中止する場合がございます。

≪申込先≫
愛媛県総合運動公園 振興課
住所 〒791-1136松山市上野町乙46
℡   089-963-2216
fax  089-963-4104
mail  info@eco-spo.com

ネガティブな感情について・・・2021年3月9日哲学カフェのテーマ

ネガティブな感情について・・・2021年3月9日哲学カフェのテーマ

※この原稿は松山短期大学非常勤講師の山本希さんが作成したものです。

1.はじめに

 感情(passion)とは、ラテン語の‛patior’に由来します。‛patior’とは、研究社羅和辞典によると「苦しむ、受ける、耐える、許す」という意味です。つまり、「私はある感情に襲われた」という表現がいみじくも示しているように、感情に対して人間は引き受けることしかできません。私は嬉しい気持ちになりたいから、意志でもって「嬉しい気持ちになることを選ぶ」なんてできない。悦びだって哀しみだって、ただ私にやってくる。私はその感情を拒む権利をそもそも持ち合わせていないと言えます。人間は感情に対して、どこまでも受け身的であらざるをえない存在なのです。

 だとするならば、どんな種類の感情を抱いたとしても、そのこと自体は善でも悪でもありません。何らかの問題が生じるとしたら、その感情の帰結となる「振る舞い」だと言うことができるでしょう。たとえネガティブな感情を抱いたとしても(ネガティブな感情が心に湧き上がってきたとしても)そのこと自体を否定することなく、その帰結としての振る舞いに着目する。「振る舞い」ならば(場合によって容易にいかないことはあるにしても)、意志によって変更することはある程度可能ではないでしょうか。あるいは、たとえ変更できなかったとしても、異なる環境に身を置くことによってその「振る舞い」の意味するところを変えることはできそうです。

 今回は、ネガティブな感情から引き起こされる「振る舞い」の可能性について考えていきたいと思います。ネガティブな感情とは、細かく見ていくと際限がありませんが、大まかには「自分や他者を傷つけたり、破壊したいと思う気持ち」へと集約されるのではないかと思われます。

2.大江健三郎『「新しい人」の方へ』 朝日文庫 95-98

 ただ意地悪な気持に動かされて、人を批評してしまうのは、子供のやる―大人でもやりますが―いちばん良くないことのひとつです。

 子供の私にも、家族や友達や村の通りで出会うだけの人や、さらに犬や猫にたいして、意地悪な気持になることはよくあったものです。それも相手に理由があってというのではなく、自分のなかに「意地悪のエネルギー」が湧き起こって、抑えられない結果でした。

 子供が、つい意地悪なことをやってしまうのは、まあ、仕方のないことでしょう。いまいったとおり、「意地悪のエネルギー」が働きだして、それに動かされているのですから。

 そのように意地悪なことをしてしまった後で、自分が意地悪だった、と気が付かないことはまずありません。自分がやったことを、胸のなかのブラウン管に映し出されるような思いがします。しかも、「意地悪のエネルギー」は、いったん使ってしまった以上、弱くなっています。つまり、反省することは難しくありません。反省の仕方としては、自分がいったりしたりした意地悪なことをよく思い出した上で、―こんなことは、なにも生み出さない!とつくづく思うだけでいいのです。

 その反対に悪い態度は、自分が意地悪をしたのは、相手にこちらの意地悪さをさそうところがあったからだ、と考えることです。相手のヴィルネラビリティー※のせいにすることです。

 (略)

 福沢諭吉は、人間とはどういうものなのか、ということをよく知っている人でした。そして、人間の素質のなかで、ただ悪いだけで、良いところはなにもないのが、「怨望(えんぼう)」だといっています。たとえば、乱暴な素質の人には―福沢は、粗暴と呼んでいますが―、勇敢な、という良い素質がある。軽薄な人には、利口なところがあるといってもいい―福沢の言葉では、怜悧(れいり)―というのです。

 しかし、怨望という素質だけは―人をうらやむ、人に嫉妬する、ということですが―、良い素質とつながっていない。なにか良いものを生み出すところがまったくない、といいます。

 いまはほとんど使われることのない、この怨望という言葉ですが、皆さんの頭のすみにしまっておいていただきたい、と思います。そして将来、とても困った人物となにか一緒にしなければならなくなった時、相手にこの言葉とぴったりするところを見つけたら、本気で怒ったり悲しんだりしないことにすればいいのです。

 私は、子供の世界で、「怨望」に近い素質が、意地悪さじゃないか、と思っています。

 怨望イクォール意地悪さ、というのじゃありません。怨望から大人のやることが、子供のやってしまう意地悪に近い、ということです。あなたに意地悪をいったりしたりすることを続ける人がいれば、

―よし、ぼくは(私は)この人のいったりしたりすることに、本気で怒ったり、悲しんだりはしない、と自分にいえばいいのです。

 そして、自分としては、人に意地悪なことをいったりしたりはしないことにしよう、という原則をたてればいいのです。「意地悪なエネルギー」はなにも生み出しません。子供の私は「生産的でない」という言葉を本で読み、気に入って、こういう場合に使っていました。

※ヴィルネラビリティー・・・可傷性.傷つきやすさ.弱さ.フランスのユダヤ系哲学者E.レヴィナスの用語.バルネラビリティーともいう

3.河合隼雄 村上春樹『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』 新潮文庫 167-170

河合

 そのひとにとってものすごく大事なことを、生きねばならない。しかし、それをどういうかたちで表現するか、どういう形で生きるかということは、人によって違うのです。ぼくはそれに個性がかかわってくると思うのです。生き抜く過程のなかに個性が顕在化してくるのです。

 人間の根本状態みたいなものはある程度普遍性をもって語られうるけれども、その普遍性をどう生きるかというところで個性が出てくる。だから、ある人は海に潜るよりしかたがないし、ある人は山にいくよりしかたないし、ある人は小説を書くよりしかたがない。

 

河合 殺すことによって癒される人

 これは大変重い話題です。しかし、心理療法をしている限り決して避けて通ることはできません。「殺す」という場合、自分自身を殺す、つまり自殺も含めて考えるべきと思います。他殺あるいは自殺によってのみ癒される人は存在するのか、ということです。

 そんな人はいると思います。しかし、それはあくまで「その人にとっての真実」であって、そこから一般的ルールや結論などは取り出せないと思います。そして、心理療法家としては―オプティミスティクすぎると言われそうですが―そのような運命を背負った人が、どのような「物語」を生み出すことによって、この世に生きながらえていくか、ということに最大限の力をつくすべきだと思っています。

 夢の中で自殺や他殺を「体験」する人がいます。そのときの深い感動などに接すると、「殺すことによって癒す」体験をこの人はしたのだなと思います。わたしはクライエントの夢の中で何度も死んでいます―実際はしぶとく生きていますが―。「殺す」ことの象徴的実現に向けて、わたしの容量の可能な限り、「殺すことによってのみ癒される人」と立ち向かっていると思う時もあります。

 あるいは、文学作品の中の自殺や他殺もこのような意味を持つときもあるのではないでしょうか。

 私はあるクライエントが治療関係が終わってから、「河合先生に会った最大の不幸は自殺できなくなったことだ」と言われるのを聞いたことがあります。これはなかなか微妙な表現ですが、「自殺によって癒される人」が、私に会ったために敢て「癒されない」人生を選ぶことによって、この世に生きながらえることにされた、とも受けとることができます。この言葉はずっと私の心の中に残っていて、折にふれて自分の心理療法の在り方について反省する景気を与えてくれています。

 ともかく、人間の「死」ということに関する限り、一般論はできない、と私は思っています。

※オプティミスティク・・・楽天主義の、楽観的な

4.小松美彦『「自己決定権」という罠 ナチスから新型コロナ感染症まで』 現代書館245-246

「尊厳」とは立ち現れる共鳴関係のことである

 ここで話を中村有里ちゃんに戻します。「有里は生きる姿を変えただけなんです」という言葉で、お母さんは、どんな状態になっても「いる」ことが大事なのだと訴えたかったのでしょう。ただし、その言葉と語りには豊かな構造があります。すなわち、有里が生れ落ち、脳死状態となり、闘病生活を続けてきた、こうした一連の過去が現在の立脚点になっており、その現在は未来へと開かれたものになっている。そして、開かれた先には「いない」が待っている。「しばらくの間いない」のではなく、「永遠にいない」日がやがては到来する。お母さんはこのすべてを引き受けて、かの言葉を発したといってよいでしょう。いつ訪れるかわからない「いない」を含み込んだ「いる」であることを、お母さんは覚悟していたのだと思います。

 この意味で、「有里は生きる姿を変えただけなんです」と語ったその瞬間に、お母さんと有里ちゃんとの間に立ち現れた共鳴関係、それが《人間の尊厳》なのです。

 そうすると、《人間の尊厳》とは、大それたことではありません。「ただいること」をめぐって生起する当たり前のことです。本書ではあえて分析的に論じましたが、本当は誰しもが日常生活のなかで感じてきたはずのことなのです。メーテルリンク作『青い鳥』のチルチルとミチルは、夢のなかで幸せ(本当に青い鳥)を求めて旅立ち、探しあぐねて夢から覚めると、幸せとは最も身近でささやかな日常(もともと飼っていたただの青い鳥)であったことがわかります。《人間の尊厳》も、これと同じでしょう―それゆえに私は、「「人間の尊厳」などという概念はなくてもよいと思っています」と先述したのです。

 そうでもあるにもかかわらず、私たち人間は、〝本当に青い″「人間の尊厳」を探し求め、「理性」、「知性」、「精神」、「生きようとする意志」、「自己意識」等々として、みつけたつもりになってきました。そしてその結果、「もう二度とこんなことを繰り返してはならない」事態を引き起こし、今もなお引き起こしつづけています。脳死者、植物状態や終末期の患者、人工呼吸器や人工透析器や胃瘻によって生かされている人々……、この者たちは「人間の尊厳」を損なっている、だから尊厳のある死を、と。

 しかしながら、これまで述べてきたように、《人間の尊厳》が、眼差す者と眼差される者との間に、叫ぶ者と叫ばれる者との間に、立ち現れる共鳴関係のことであるなら、そして、これら両者の一体化の別名であるなら、脳死者たちの存在そのものを否定する人々は、《人間の尊厳》の要素が損なわれているのは、逆説的にも、脳死者たちではなく、脳死者等々には「人間の尊厳が損なわれている」と考える人々のほうなのです。そしてそうだとすると、この人々が《人間の尊厳》に出会うことは、チルチルとミチルのように普通の「幸せ」に気づくことは永遠にないでしょう。「このままでは」とは、「脳死者たちを対象化しているかぎり」と言い換えてもよいでしょう。そもそも対象化とは、眼前の者たちの固有性を受け入れて己が一体化することを、拒絶する姿勢に他ならないからです。

【自分自身の悩みを紐解くヒントとして…】

子育ても、夫婦関係も、仕事においても悩みは尽きないものですが、そんな悩みを違う観点から考えてみるという時間も大切なように思います。

わが子の発達段階が他の子と比べて遅かったり、早すぎたり、乱暴だったり、おとなしかったり・・・普通という枠から外れることが不安につながり、ネガティブ思考へとシフトする傾向にありますが、それはどうしてなのか?

普通が良いことなのか?なぜ不安なのか?親としてどうとらえていくことが良いことなのか?

毎回答えはないけど、各々が自分の今の悩みと向き合いながらゆっくりと考える時間にしたいと思います。

3/2の森のようちえん みきゃんっ子は開催します。

おはようございます。本日の森のようちえんみきゃんっ子は朝は雨が降っていますが、10時頃から曇の予報になっているので開催します。

参加する方はカッパも用意して参加してください。

開催についての有無が気になる方は080-8902-9627(山本)までお電話ください。